あの懐かしの女子バレー東洋の魔女のメンバーの紹介です。

222実に懐かしいですね。 あの、日本のバレーの強さが何か蘇ったみたいです。

今の若い世代の方は、東洋の魔女と聞いてもピンと来ないと思います。

良かったら、この記事でどんなに凄かったかを実感して下さい。



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懐かしの東洋の魔女と呼ばれたメンバーです。

  東洋の魔女と言えば、1964年に開催された東京オリンピックの女子バレーチームというイメージが強いかと思われますが、実は東京オリンピック以前から、日本の女子バレーチームは東洋の魔女と呼ばれていました。  

1961年、ヨーロッパ遠征で「日紡貝塚女子バレーチーム」は22連勝しました。その際、ソ連からの外電では、日紡貝塚女子バレーチームを「東洋の台風」「東洋の魔法使い」と形容していたため、そこから「東洋の魔女」という愛称が生まれました。    

東洋の魔女を率いた指揮官の大松監督

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  という訳で、当時の日本女子バレーチームはかなり強く、1962年の世界選手権では、宿敵ソ連を下し優勝するほどでした。

ただ、世界選手権で優勝したあと、選手や監督は引退を表明していました。   しかし、1964年に開催される東京オリンピックで、女子バレーボールが正式種目になることが決定したため、周囲からの要望によりオリンピックまで続けることになりました。

そして、日本女子バレーチームは東京オリンピックで金メダルを獲得したのですが、その決勝戦で日本チームが攻撃するたびに、アメリカのテレビ局のコメンテーターが「The Oriental Witches(東洋の魔女)」を連呼したため、東洋の魔女という愛称は、より広く知れ渡りました。。  

東洋の魔女のメンバー

◆東京オリンピック(1964年)

 磯部サダ ・ 河西昌枝 ・ 近藤雅子 ・ 佐々木節子 ・ 篠崎洋子 ・ 渋木綾乃 ・谷田絹子 ・ 半田百合子 ・ 松村勝美 ・ 松村好子 ・ 藤本佑子 ・ 宮本恵美子  

世界選手権(1962年)

青木洋子 ・ 磯部サダ ・ 河西昌枝 ・ 篠崎洋子 ・ 谷田絹子 ・ 半田百合子 ・本田憲子 ・ 増尾光枝 ・ 松村勝美 ・ 松村好子 ・ 宮本恵美子 ・ 山田暉子  

ヨーロッパ遠征(1961年)

河西昌枝 ・ 谷田絹子 ・ 中島澄子 ・ 西原篤子 ・ 半田百合子 ・ 姫田睦子 ・増尾光枝 ・ 松村好子 ・ 宮本恵美子    


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