飯島愛さんは 36歳と言う若さでこの世を去り ました。
そのシ因は、不明のま まです。
色々な憶測が飛び交い ましたが?ハッキリした事は?
【目 次】
愛ちゃんの死因は何だったのか?
警察側も司法的に色々と調べましたがこれと言う決め手がありませんでした。
まぁー、飯島愛さんの理由が気になるところですが? それが、その理由が判明したんです、信憑性は高いと思います。
飯島愛さんの最後を振り返る。
24日午後3時15分ごろ、東京都渋谷区桜丘町の渋谷インフォスタワー21階の一室で、元タレントの飯島愛さん(36)が倒れているのを、知人女性が発見、119番通報した。
警視庁渋谷署によると、飯島さんの絶命が確認されたという。女性は 数日にわたって飯島さんと連絡が取れなかったため、この日訪れた。 飯島さんに目立った外傷はなく、同署がこれについて調べています。
飯島愛が通院してた病院の主治医いが当時のことを明かす。
その主治医と言うのは、六本木で婦人科クリニックを経営する 赤枝恒雄医師です。
今まで、医師の守秘義務があるので、何も話せませんでしたが、愛さんの他界から 100日が過ぎたので重い口を開いてくれた。
愛さん、最後の2日前に彼女を診察していたという赤枝先生が彼女との最後の会話を語ってくれました。
その会話の内容とは? (以下引用)
12月13日、愛さんはいつものように診療所へやってきました。 『先生、なんかとっても疲れちゃった』と……。 診療時間もとっくに過ぎていたので、その日は、栄養剤の注射をして彼女は病室に泊まっていったんです。 診療所は、予約もなくいきなる現れる彼女のために、いつもベッドは1つ、空けていたようなものでしたからね」 (中略) 当時、彼女は睡眠導入剤を飲んでいたし、不規則な生活で熟睡するのに苦労していたようです。 すると、朝になって彼女は『先生、ぐっすり寝たから元気になったよ!』と、帰っていきました。 そんな彼女の言葉に私は満足だったのです。 (以上引用 女性自身)
(以下引用)
腎盂炎を患っていたり、体の具合が思わしくなかった愛さんは、この医院に3~4日泊り込んだりすることがよくあったのだそうです。 昨年の夏などは、3ヶ月間、医院に住み込んでいるような状態だったのだとか。 この日は、微熱があったものの、1泊しただけで帰っていった愛さんに、 赤枝先生はほっとしていたのだそうです。 しかし、これが愛さんとの最後の会話になってしまいました。 医院での1泊で元気を取り戻した愛さんは、この後父親に携帯で電話を かけています。朝の9時半過ぎのことでした。
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(以下引用)
「いつも夜中にかけてくるのに珍しいな」そう話す父に対して、「一緒にお墓参りに行きたいと思って」と、愛さんは話している。 連絡が取れなくなる前、12月16日には、愛さんが取り組んでいた新しい事業に関する打ち合わせがあり、マネージャーのAさんが 愛さんを迎えに行ったそうです。 しかし、愛さんの具合がかなり悪そうで、仕事をキャンセルしたのだとかその後、誰も連絡が取れなくなり、クリスマスイブに心配してマンションを訪ねたAさんによって、変わり果てた姿の愛さんが発見されました。
「死亡推定日は12月18日と発表されましたが、私は、最後にあった14日の2日後、16日ではないかと思っています。 直接のシ因は? 色々と憶測が飛び交いました。むしろ喫煙者に多い間質性の肺炎か、突然に近いと思いますね」(赤枝医師)愛さんと赤枝先生とは、一緒に岩盤浴にも行くような、父と娘のような関係だったそうです。
(以下引用)
「亡くなって3ヵ月にもなりますが、私の気持ちはぽっかりと穴が開いたままです。 『先生、疲れちゃったよ』思い出すのは、彼女のそんなセリフばかりです。 疲れているのに寝られない。だから、薬を処方して、ぐっすり休ませてあげたかった。 06年には会社の経理担当者の横領事件、ビジネスの パートナーに撤退されていたとの報道もありました。 (以下引用) 「経理の人に大金を持ち逃げされたときも、お金に困った様子は見せませんでした。 そのころ六本木ヒルズで買い物に付き合ったのですが、彼女が15~16万円の買い物をしたときに、『10万円、貸してくれない?』と言われて融通しました。 でも、彼女は近くのATMで現金を下ろし、すぐに返してくれましたから」(中略)「彼女は大勢の女性にとって等身大の人だった。 私も自由奔放に生きた娘をいきなり亡くしたようで、本当に残念です。 彼女の思いが少しでも引き継がれることを望んでいます」 (以上引用 女性自身)
愛ちゃんのプロフィール
1993年 歌手デビューする。
2000年 自分の著書の中で若い頃の自分を振り返る。
2007年3月 芸能界引退
2008年12月 他界する。