1970年代に活躍された安西マ リアさん、安西マリアさんは、 ドイツ人とのクォーターで 19736年の19歳で歌手デビュ ーをしてます。 同期には、あべ静江さん、アグネスチャンがいました。
安西マリアさんのプロフィールです。
フロフィール
生年月日: 1953年12月16日
出身地: 東京都
血液型: A型
身長: 158cm
3サイズ: B85 W57 H85
職業: 歌手・女優
活動時期: 1973年~1978年 2000年~20148年
事務所: 10-POINT
安西マリアさんは、クォータで祖父がドイツ人なんですね。
安西マリアさんは東京都内の高校を卒業して銀座のクラブ徳大寺で 働く事にします。 ちなみに、この徳大寺と言うクラブは女優の五十嵐淳子(61) ら数多くの女優や歌手を輩出てし、芸能界の登竜門と呼ばれた有名店 と言う事を知ってましたか?
お店の関係者によると、この安西マリアさんは抜群のスタイルと彫り の深いルックスの安西さんはお店の中でも目をひく存在だったらしいですよ。
でっ!この時に芸能界にスカウトされて歌手デビューを果たします。ハイ!
1973年 安西マリアさんは、ドイツ人のクオーターですからスタイルが抜群でエキゾチックの容姿<spanstyle=”font-size: 16px;”>だから、小麦色の肌にちなんで『チョコレート・マリア』のキャッチコピーで親しまれましたね。
デビュー曲は、あの、『ギ~ラ、ギ~ラ、太陽が、燃えるように…』のフレーズです。 日本で活動する歌手エミー・ジャクソン(68)が英語で歌った楽曲を日本語でカバーした。
英語版も日本語版も、音楽評論家の湯川れい子さん(78)が作詞家 デビュー作として手掛けた。
この『涙の太陽』のデビュー曲レコードは50万枚以上の売上で大ヒットを飛ばしてます。
でっ!その年の第15回日本レコード大賞新人賞を受賞しています。 他の新人賞受賞者は、桜田淳子、あべ静江、アグネスチャン、浅田美代子が受賞しています。
同期には、あべ静江、アグネスチャンがいたんです。
1973年の日本レコード大賞の新人賞
浅田美代子 (芸映プロダクション所属) 赤い風船(オリコン1位)
アグネスチャン (渡辺プロダクション所属) 草原の輝き(オリコン2位)
あべ静江 (渡辺プロダクション所属) コーヒーショップで(オリコン9位)
安西マリア (竹野エージェンシー所属) 涙の太陽(オリコン16位)
桜田淳子 (サンミュージック所属) わたしの青い鳥(オリコン18位)
以下落選 山口百恵 (ホリプロダクション所属) 青い果実(オリコン9位)
石川さゆり、栗田ひろみ、夏木マリ、水沢アキ、キャンディーズ他
安西マリアさんは、今までの人生は波瀾万丈の生涯だったんでね。
その後はテレビや映画など女優としても活躍して行きます。 でもでも私生活の方ではトラブルが相次ぐんですね。
1978年 に失踪事件を起こします。 何故に失踪したかは本人いわく毎日が忙し過ぎて自分の時間も取れない状態が 毎日毎日続くので現実逃避をしたかったと言われてますね。 その事で当時の所属事務所社長から暴行を受けていたことが裁判で明らかにしました。
1978年に芸能界を引退しハワイへ移住します。
1983年にデビュー時のマネジャーだった男性と結婚して男児が誕生しますがやがて
1990年に夫の女性問題で離婚をします。 長男は知的障害を持っているので自分1人の自活は出来ず要介護の認定を受けてます。 長男の将来のことを考え息子にアルバイトをさせますが、うまく行きませんでした。 そして母親の認知症を患い、息子と母親のW介護に追われる毎日になります。 W介護ですから当然に介護費用が増えてきます。 それでやもえず芸能界に復帰します。
2000年に芸能界に復帰します。かつてはあれだけ水着さえ嫌がった彼女が。
2006年自主盤「MARIA~ケ・セラ・セラ・サマー」を発売。全国でライブ活動を行っていた。
2012年にはヌード写真集も出版したのです。
2013年テレビ朝日「徹子の部屋」に再度の出演。
※女性セブン2014年3月27日号からの引用です。
1983年に結婚し、翌年には長男が誕生。しかし、1990年に夫の女性問題などが原因で離婚してしまう。シングルマザー生活は壮絶を極めた。 「長男には知的障がいがあるため、自活することが難しく、要介護認定も受けています。そのうえ、お母さんまで認知症を患い、W介護に追われてしまったんです」(前出・長沢さん) 長男の将来を考え、アルバイトをさせたこともあったが、うまくいかず、途方に暮れたこともあった。また、ふたりの介護費用の足しに、2000年には芸能界に復帰し、かつては水着さえ嫌がった彼女が、2012年にはヌード写真集も出版した。 「私、息子をおいて死ねないのよ」──それが彼女の口癖だった。 しかし、彼女は病に倒れてしまう。3月6日、一向に容体が回復しない安西に、叔父はある決断をした。前出の長沢さんが言う。 「“奇跡的に息を吹き返したとしても、再起は難しい”と医師から言われた彼女の叔父さんに、私も意見を求められました。 人工呼吸器でも生き続けてほしいですが、はたしてそれが本人のため、周りのためによいことなのでしょうか。つらいですよ 息子も彼女の面倒を見ることはできませんし、お母さんは施設に入所していて、叔父さん夫妻ももう高齢ですから。だから、“叔父さんの判断に委ねます”と返事しました。 最終的に、叔父さんとマネジャーさんは人工呼吸器を外す決断を下しました。 呼吸器を外すと、“水の中で溺れているように必死で呼吸するから、見ていられない”と叔父さんは話していました」 長男を遺しては逝けない──その強い思いがあってか、現在は自力呼吸をしているという。
謹んで ご冥福をお祈りします。