retoro05先日の28日に、大塚HDの大塚明彦 会長77歳がお亡くなりになりまし た。ここに謹んでご冥福をお祈り 致します。 ボンカレーと言えば、元女優の 松山容子さんですね。

 


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元女優の松山容子(77)さんについて。

この松山容子さん本名は田中 曠子さんは、1973年11月30日に愛媛県松山市で銀行を経営する名士の家に金持ちのお嬢様として生まれます。

 

愛媛県立松山南高等学校在学中に、『アサヒグラフ』(1956年2月5日号)の表紙モデルを務めたのがきっかけで松竹映画の役員の目にとまり、卒業と同時に松竹のニューフェイスとして入社します。

 

そのキッカケになった懐かしい画像です。

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本名: 田中 曠子(旧姓・出井)
芸名: 松山清子→松山容子に改名
生年月日: 1937年11月30日77歳
出身地: 愛媛県松山市
職業: 女優
ジャンル: 映画・テレビドラマ・舞台

1971年(昭和46年)3月、『くれないお仙』や主演映画『めくらのお市』シリーズの原作者である漫画家、棚下照生と結婚。

 

人気の絶頂期に芸能活動を縮小〜休止し、事実上の引退となった。ただし、その後も稀にドラマ等にゲスト出演することがある。  

 

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松山容子さんが、ボンカレーの看板になるまで

松山容子さんが、ボンカレーのイメージキャラクターに起用されたキッカケはこうです。

 

1960年(昭和35年)松山容子さんは、テレビドラマ『天馬天平』(日本電波映画 / フジテレビ)で演じた、男装で新撰組と闘う勤皇の姫君・千也姫役が評判となっていました。

 

そんな折に、番組スポンサーを大塚製薬一社で提供する人気番組の『頓馬天狗』(とんまてんぐ)がありました。(1959年9月5日から1960年12月24日までよみうりテレビ制作・日本テレビ系列で放送)

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大塚製薬では、その後継番組の企画を練っていたところに松山容子さんの人気に着目して、

 

この千也姫をモチーフとして、松山容子さんを主演に「男を凌ぐ剣の腕をもつ若武者姿の姫君」を主役にしたドラマ企画を打診し、

 

『琴姫七変化』(日本電波映画 / 讀賣テレビ)が製作されました。 毎回若武者姿だけでなく、芸者、くノ一、鳥追い・・

 

と、文字通り次々替わる「七変化ぶり」も相まって、番組は2年間にわたり継続され、その容姿と華麗な立ち回りから「アクション女優の先駆け」として人気を博しました。


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そよ風道中(琴姫七変化) 歌:花村菊江

もちろん、大塚製薬の会長はボンカレーのイメージキャラクターを松山容子さんを起用します。

 

そして、大塚会長はこのボンカレーの顔である松山容子さんの顔をボンカレーのパッケージから後世にまで外すなと指示してます。

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ボンカレーCM 松山 容子(当時31歳)と俳優の品川隆二さんです。

一方の新商品のボンカレーゴールドのイメージキャラクターは何人も変わりました。 巨人軍(当時)の王貞治(後に郷ひろみ→田村正和→所ジョージ→松坂慶子→池谷幸雄→ともさかりえ)を起用した。  

 

松山容子さんの懐かしい画像アレコレです。

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この写真は最近、2006年に行われたボンカレー発売40周年のイベントの時のものです。

 

ううぅ~~~ん!いくら年齢を重ねても美人だっ! 品の良さが滲み出てます。ハイ!(^^)

 

現在の松山容子さんは、本人とお母様はご健在で東京郊外でひっそりとお暮らしのご様子です。  

 

ここでおまけ動画です。

 

大昔の女優さんは、みなさん本物の美人でしたね。 現在、見たいに美容整形が盛んな時代と違って、おそらく当時は美容整形が無かったと思います?

 

それなのに、あれだけの美人女優ばかが揃ってたんですからね。 そんな中で、私の好きな女優さんの一人を紹介します。この人もすごく美人ですよ。(^^)

 

1943年3月18日生まれの名前は、近藤圭子さんです。(前職は童謡歌手)

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近藤圭子が歌う、快傑ハリマオ/正体は帝国海軍中尉・南十字星の歌

 

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