izumi03私は、泉ピン子さんがピン芸人の ころから知ってますが正直に言っ てここまで伸びるとは思いません でした。 でっ!泉ピン子さんの本当の姿はわかりませんが?こんなにも色々と批判されるのも以外でした。 ここまでピン子さんが長続きできたのは、 一つは、脚本家の橋田 壽賀子さんに気に入られ可愛がられ、いい仕事に恵まれたのと運が良かったんですかね。


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泉ピン子さんに敵が多く嫌われてる理由は?

 

泉ピン子さんのことを語るのに、良く和田アキ子さんとの比較で語られます。

 

この二人は、芸能界のご意見板を気取って芸能界の辛口コメントを良くされてますが。

この二人に共通点はあるものの、二人の人間性は全く違います。

 

ネット上の評価は、ダントツに泉ピン子さんの方が和田アキ子さんより嫌われてます。

 

和田アキ子さんは、あねご肌で口は悪いが事務所の後輩タレントを全員じゃないですが良く面倒を見るそうです。

 

一方の泉ピン子さんの方は何も聞こえて来ません。ハイ!

 

 

ここで泉ピン子さんの人間性をかいま見てみましょう。

1.2013年3月14日(82歳没)に、宇津井健さんがお亡くなりましたが、泉ピン子さんは『渡る世間は鬼ばかり』で宇津井健さんとは長いこと共演されてました。 それにも関わらず、泉ピン子さんは宇津井健さんのお墓の場所を教えて貰えないそうです。普通に考えてあり得ますか?

 

2.2013年4月29日(78歳没 )に、元師匠の牧伸二さんがお亡くなりましたが、かつて弟子だった泉ピン子(65)さんが、過去の“イジメ”←(イジメと思うのがすごい)、を逆恨みして線香の一本どころか弔電すらも送っていないことが明らかになり、お笑い関係者から“総スカン”を食らっています。

 

3.元師匠の牧伸二さんに対して泉ピン子さんは恩ある師匠を裏切った形になってます。  

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牧伸二さんは、全ての面においてかなり弟子に 厳しい人だった見たいです。

 

雨の時でも傘を差すことが許されず
●牧さんの荷物持ちをさせられた。
ドサ回りで北海道のキャバレーに行った時は宿も用意されてなくて、キャバレーの楽屋に泊まらされた。
●毎月の給料は薄給 これらは全て、泉ピン子さんことを思い敢えて牧師匠が厳しく辛く接したのですが、そのことをピン子さんは師匠の気持ちを全く理解できず、後に当時のことを親しくなったマスコミやテレビ関係者に師匠からイジメをされたと同じような話をして、同情を買っていたようです。

 

しかも、ピン子さんは女優として遅咲きするや、売れない時代の反動か、ブランド品を買いあさり、贅沢三昧の生活をする。

 

すべて事務所からの前借りだった。その額、なんと3億5000万円といわれた。事務所が「これ以上、貸せない」というと、借金を残したまま後ろ足で砂をかけるように独立。

 

これには、牧さんも激怒したといいます。

 

更に驚くのが、「泉ピン子」という芸名は、牧さんが旅興行先で麻雀をやっている時に「顔がまんまるでイーピンにそっくりだから」ということで付けたのだが

 

佐藤事務所を辞めてからは芸名の由来が「父親が、ピンの芸人の一番になれと話したから」と変わっている。

 

しかも雑誌のインタビューでは「自分にとって恩師は杉村春子先生」と語って、牧さんのまの字も出てこなかったといいます。

 

これに牧さんは大きな失望を覚えたようで、“あまりにも恩知らずだ”と、彼女を破門にしてしまったんです」(牧さんの知人) 更に芸能関係者

 

独立からの13年間、ふたりは完全に絶縁状態で、ピン子さんはあの下積み時代の日々を消し去るかのように、牧さんの名前を口に出すことすら嫌がっていました。

 

あの人のことは絶対許さないっていう思いがずっと心の奥深くに残っていたんでしょう」 更に、更に驚くのが、牧さんが2002年に脳梗塞で倒れたときも、ピン子さんは見舞いに訪れない絶縁状態となったそうです。

 

ここ大事なことなので、もう一回書きます。

 

2013年4月29日(78歳没 )に、元師匠の牧伸二さんがお亡くなりましたが、かつて弟子だった泉ピン子(65)が、過去の“イジメ”←(イジメと思うのがすごい)、を逆恨みして線香の一本どころか弔電すらも送っていないことが明らかになり、お笑い関係者から“総スカン”を食らっています。

 

泉ピン子さんが、ここまで恩を仇で返すの様なことをするのは。 脚本家の橋田 壽賀子さんに気に入られ可愛がれ、後ろ盾を得たのが最大の原因でしょうか。?

 

現に、ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』の撮影現場では、大大御所女優の杉村春子さんとか山岡久乃さんがいたころの撮影現場では、すごく良かったと聞いてます。


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それが、このお二人がいなくなると途端に、泉ピン子さんが全ての主導権を握り撮影もピン子さんの都合に合わせて動いてた見たいです。

 

それに、若い撮影スタッフや衣装さんやメイクさん達は、かなりピン子さんにイジメられた見たいです。

 

最後に、敵を作り嫌われてるのは、ピン子さんの人間性のなさが自ら招いているとしか思えません。  

泉ピン子さんの、これまでの物語です。

まずはプロフィールから

本名: 武本小夜 (たけもと さや) 
旧姓、江口小夜
芸名: 三門マリ子→泉ピン子
生年月日: 1947年9月11日
出身地: 東京都中央区
血液型: B型
身長: 154cm
職業: 女優
活動時期: 1966年~
事務所: 佐藤事務所→ケィ・サイド
主な作品: 『おしん』・『渡る世間は鬼ばかり』・『おふくろ先生の治療日記シリーズ』

 

 

1966年 日本音楽高等学校を中退します。 同年にウクレレ漫談の『牧伸二』の弟子になり身の回りのお世話をします。 芸名を『三門マリ子』を貰い歌謡漫談で芸能界にデビューする。 デビューしたと言ってもキャバレー回りばかりですけどね。  

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 この牧伸二の師匠は、弟子に対して全ての面において、かなり厳しい人だった見たいです。

 

一つだけ例をあげると、師匠が地方公演に行く時は、もちろん泉ピン子さんも一緒に同行しますが、師匠と同じ旅館とかホテルには泊まられません。

 

ではどこで寝るか、公演先キャバレーの楽屋です。泉ピン子さんは、後に、当時の日常の不満が噴出します。    

 

1975年 日本テレビ『テレビ3面記事 ウィークエンダー』の番組リポーターを担当したのを機に泉ピン子と改名する。  

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1977年 歌手としても1977年に「哀恋蝶」が10.9万枚(オリコンチャート最高位37位)のヒットを記録した。すご~~~い!(^^)  

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歌 哀恋蝶 泉ピン子 動画

   

 

泉ピン子さんの女優としての出世作

1983年~1984年   NHK おしん 苦難に遭いつつも決してあきらめない姿が、全世界で共感を呼び世界68ヶ国で放送されたのは周知の通りです。

 

泉ピン子さんは、このドラマで女優としての道を開眼したと言えるでしょう。  

 

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1990年~2013年 TBS  

 

渡る世間は鬼ばかり

 

脚本家の橋田 壽賀子(はしだすがこ)さんが、おしんの泉ピン子の演技を見て出演依頼をしたそうです。

 

泉ピン子さんは、このドラマで女優としての地位を不動のものにしました。  

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泉ピン子さんの夫と子供は?

泉ピン子さんは、1989年7月29日に病院のお医者様と結婚されてます。

 

お相手の男性は武本憲重さんで東京の東銀座にある武本ドクタークリニックの院長先生です。

 

専門は、消化器。特に食道・胃・大腸癌 この先生は、たけしの『本当は怖い家庭の医学』の番組にゲスト医師として出演されてます。  

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二人の馴れ初めは?

泉ピン子さんが大腸がん検診に訪れたのが、この武本ホームドクタクリニックです、そのときの担当医で、診察室に入ってきた瞬間に「この人と結婚する」と感じたそうです。  

 

二人には子供はいるの?

残念ながら、このお二人の間には子供はいません。 がっ!しかし、武本憲重さんの方に隠し子が二人います。

 

この子供は既に認知手続きをしてます。 長女の娘さんは、名前を泉沙織と名乗って芸能活動をされてます。

 

芸能活動と言うより音楽活動が正しいかも知れません。 この泉沙織さんは、バイオニストです。  

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  尚、もう一人のお子様の情報は公開されてません。  

 

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