この黒柳徹子さんは、1933年8月9日御年80歳、でっ!まだ現役で活躍されてます。 もう芸歴が58年とか!ホント凄いですね。
【目 次】
黒柳徹子さん、結果的に80年間も独身を通した理由
本人は、決して独身主義ではなさそうです。 現に番組の中で、これまでに2回くらい結婚を真剣に考えた事があるそうです。
ゼクシィのCMによると「今までに2、3回、結婚してもいいかなって思ったことあるのよ」と語っています。
また彼女の冠番組である「徹子の部屋」においては「結婚をしようと思ったこともあったがタイミングなどの関係で結婚には至らなかった」といった趣旨のコメントをしています。
ということは結婚自体には否定的ではないもののタイミングなどによって結婚をすることがなかったということの様です。
但しそうしたタイミングを逃してしまったことはあるものの、 「私は結婚していないけれど、結婚していてもいなくても、今の私であることには変わりはない」とも語っており自分という存在がしっかりと立っているため結婚をしてもしなくても変わりはないといったことを語っています。
「トットチャンネル」(新潮文庫)という著作の中で、若い頃、2回くらいお見合いをしたことがあるということが書かれています。
しかし、気乗りがしなかったので、結婚しなかったのだそうです。 また、お母さまも、無理して結婚しなくても構わないというスタンスの方だったそうで、結婚しなかったと本に書かれています。
まぁ、良くも悪くも人それぞれの人生ですから。(^^)
黒柳徹子さんについて
正にテレビ界と共に歩んできた人生ですね本当に頭が下がります。
1983年8月9日に 東京府東京市赤坂区乃希坂木坂に生まれ、大田区北千住東町で育ちます。
両親は「男子」が生まれるものと思い名前を「徹」と用意してました。でも実際に生まれたのは女の子だったので、子を加えて『徹子』に命名してます。
徹子さんの家は、芸術一家見たいです。
父親 黒柳守綱(旧姓田口) 音楽家でNHK交響楽団のコンサートマスターも務めるヴァイオリニスト
母親 黒柳朝(旧姓門山) 随筆家(エッセイスト)
長女 黒柳徹子 女優・タレント・声優・司会者・エッセイスト
長男 黒柳 紀明 ヴァイオリニスト
次女 黒柳眞理 バレリーナ・エッセイスト
叔父 田口 修治 伯父には日本ニュースのニューヨーク支社長やアメリカ・メトロニュースの極東代表を務めた
黒柳徹子さんのこれまで
第二次世界大戦中は青森県水戸郡南部町に疎開していました。
トモエ学園、香蘭女学校中等科、高等科、東洋音楽学校(現:東京音楽大学)声楽科卒業慶應義塾大学文学部中退で1953年にテレビ女優第一号の一人としてNHKに入局した。
黒柳徹子さんの愛称『トットちゃん』の名前の由来
疎開先のトモエ学園に通ってた頃の実際の話を綴った『窓ぎわのトットちゃん』 作中で黒柳自身は、「トットちゃん」と三人称で語られている。
これは、当時の本人が舌足らずで名前の「徹子(てつこ)」を「トット」と発音していたことにちなむ。
また「窓ぎわ」とは、出版当時、リストラ予備軍のサラリーマンのことを「窓際族」と呼び出した時期であったためと、著者自身、トモエ学園に移る前に登校していた区立小学校で、チンドン屋さんを呼び込むために授業中窓のところに立っていたことなどから付けられたものである。
マルチタレントとして大活躍する。 NHK放送劇団、文学座研究所を経て女優デビュー。
テレビ女優の第一号である。また、テレビ誕生と同時に生まれた日本初のテレビタレントにして、テレビ創生期からテレビ番組のレギュラーを継続して持ち続けている唯一のタレントでもある。
放送劇団入社時の面接では「親に言ったらこんなみっともない仕事を(するのはやめろと言われた)…」「こういう世界は騙す人が多いから気をつけろという話を聞く」などの失言を繰り返したのにもかかわらず、合格できたという。
数々の活躍わ経て 1976年にテレビ朝日の『徹子の部屋』の放送開始する。
1978年からは、最高視聴率41.9%を記録する大ヒットになったTBSの音楽番組「ザ・ベストテン」が放送を開始し、黒柳は初回から1989年の最終回まで司会を務めた(なお、初期からコンビを組んでいた久米宏は1985年で降板した)。
社会貢献活動・福祉活動
ユニセフ親善大使 パンダ保護 その他活動 幅広く大活躍されてます。