a009藤圭子さんが亡くなって7日が過ぎましたその間に色々な憶測が飛び交いました。それも、新事実が徐々に解り始めて・・・ そうだったのかー?と変わりました。何とも痛ましいです。


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藤圭子さんの少女期は?

1951年7月5日 岩手県一関市で生まれる   父は浪曲歌手(阿部壮)で、母は三味線瞽女(竹山澄子)2010年に死去親子三人での旅回りの芸人の生活を送る貧しい家で育った。  

 

藤圭子自身も歌っていた、圭子は頭が良かったから高校には行きたかったけど家が貧しいから高校進学を断念する。  

 

圭子が17歳の時に『さっぽろ雪まつり』のステージで圭子が歌っている姿をレコード会社の関係者の目に留まり、スカウトされて上京する。  

 

約1年間は林家三平宅に下宿する。  

 

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1969年9月25日 RCAレコードより『新宿の女』で歌手デビュー   前川清もその頃に『長崎は今日も雨だった』が爆発的にヒットした。二人の懐かしい歌声をお聞き下さい。  

 

新宿の女 圭子の夢は夜ひらく 長崎は今日も雨だった  

 

1970年 『圭子の夢は夜ひらく』が大ヒットして77万枚を売り上げた  

 

1971年8月2日 二人は佐世保市俵町教会で電撃的に結婚をした。  

 

1971年12月 NHK紅白歌合戦に、これまで例が無かった夫婦揃って出場が決まってたが、本番直前に前川が自然気胸のため緊急入院したので前川に代わって、前川が歌う予定だった「港の別れ唄」を藤が歌い、会場とお茶の間を沸かせたのでした。  

 

しかし、あくる年に離婚した原因は二人共超多忙ですれ違いばかりだから  

 

結婚している実感が無く二人は破局した。

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二人の離婚会見

その後に、前川清さんは1982年に一般の女性の朝美さんと結婚しました。   同じく1982年に藤圭子さんも、音楽プロデューサーの宇多田照實さんと結婚しました。  

 

藤圭子が二度目の結婚からおかしくなった。   1983年 長女の宇多田光が誕生する。   長女の光の5歳の頃から、藤圭子の様子がおかしくになり感情の起伏が激しくなりその感情を本人も抑えることが難しく困難になって行った。  

 

時に感情が悪い時は、周りの人間にあたり散らす有り様です。 そして、ふっと我を取り戻すその繰り返しの連続に   それで夫の照実氏は藤圭子さんに病院に行くことをすすめたが何故か圭子さんは病院に行くのを拒否した  

 

照實さんが再度圭子さんに病院に行くのをすすめたがそのことが逆に不信感を抱かせる事に   それで病院で治療をすることも無く症状が悪くなるばかりです夫も娘も、

 

そんな母親をどうすることも出来ない   夫と娘が何かすると感情を剥き出しにして暴れるから圭子さんは圭子さんで、家族に不信感を抱き家族信用しなくなっている  

 

そしてここ12年間は、圭子さんは大金を所持して世界中を旅して周り家族への連絡も絶ち音信不通状態で、一年間に1億円のペースでお金を使いまくった。  

 

どうして圭子さんが、そうなったのか原因は不明です。病名も解ってません?   そんなある日の2006年3月3日のことです。  

 

多額の現金没収騒動が有りました。

 


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引用しました。
没収 2006年3月3日、 ニューヨークのJFK国際空港にて米国司法省麻薬取締局により多額の現金を没収された。内訳は、4149枚の米100ドル紙幣、5000   カナダドル、 5000オーストラリアドル(計約4900万円)であった(機内に持ち込める現金やトラベラーズチェックは100万日本円や10,000米ドルまで)。  

麻薬犬による検査で、現金からは微量の規制薬物が検出される。米国司法省麻薬取締局は、現金が麻薬取引のためにすでに使われたか、あるいは使われる意図があったと結論付け、全額を没収した。  

藤サイドの釈明 事件が明かになった直後の藤サイドは、インタビューで「ニューヨークの金庫に保管していたものに、ギャンブルで勝った金を加えた。違法な現金ではない。

  ラスベガスのボランティア団体に寄付するつもりだった」と説明し、全額返還を求めた。また、麻薬への関与は一切ないと説明した   藤は、2006年10月22日放送『フジテレビ系) にインタビュー出演し、「この5年間ほとんど日本に帰らず、世界中を旅している。ファーストクラスのチケット代、(各国の高級)ホテル宿泊代などで、5年 間で5億円は使った。  

現金所持が当たり前」「アメリカはカード社会や小切手社会といわれているが、現金が主流である」と主張した。   また、麻 薬探知犬が反応したことに関しては「麻薬とは一切関係がない」と否定した。  

返却 2009年1月、米側は差し押さえを根拠付ける証拠を出せず、27日にニューヨークの連邦地裁で返還を命じる決定が出たとして、没収された現金42万ドルは藤に全額返還された。  

 

宇多田ヒカルのコメントを引用しました。

 

自らの公式サイトで宇多田は「8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました。   さまざまな臆測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください」と切り出し、「彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました」と明かした。  

「その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。   症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。

私はただ翻弄(ほんろう)されるばかりで、何も出来ませんでした」と娘として苦しい胸の内を明かした。   さらに「母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。誤解されることの多い彼女でしたが… とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、このように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。  

悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。   母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。   沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。ありがとうございました」と気丈につづった。

藤圭子さんが最後に一緒にいたとされる30代の男性は恋愛関係をキッパリと否定した私は、藤圭子さんを介護してただけです。  

 

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