江戸時代、イヤその前から我々の 先祖が『ちょんまげ』の髪型にし てたなんって改めて考えると 不思議ですよね この『ちよんまげ』の由来は何なんでしょうか?今回はその辺を探って見ました。(^^)
【目 次】
ちょんまげの不思議発見!
ちょんまげ(丁髷)とは?
この『ちょんまげ』と言う言葉には、色々な説があります。 どの説が、一番正しいのかはわかりませんが?
一つの説を紹介します。 許してちょんまげ!(^^) ちょんまげは元々戦国武将達が兜をかぶる時に髪をまとめていた頃から始まり、それが一般の間でも流行したようです。
よく知られている頭上部の髪を剃る形に定着したのは江戸時代、また髪がうすくなった人の髷が ゝ(ちょん)の字に似ている事からちょんまげと呼ばれるようになったそうです。
ですが、ゝ(ちょん)ではパットしないので似てる『丁』になったそうです。
でっ!どうして、髷(まげ)が生まれたのか?
これにも色々な説があります。 てっ言うか、ちょんまげに関しての資料が少ないんです。
良く目にする説が、戦国時代に鎧と兜を着けて戦いますが、その際に、頭が蒸れるから頭のとっぺんを剃り上げた。
イヤ!その説は違う
戦っている時に兜がズレるから、ズレないようにしっかりと兜を装着いるためだ。
イヤイヤ!こんな説も、戦いのさなか兜が動いたり脱げ落ちたりする危険を避けるためと、怪我をしたとき手当てが即行えるように剃りあげたと思われます。
軍人が頭を丸刈りやそれに近い短髪にするのも、長期にわたる野営や,活動の後の入浴が不可能なことが多いためと障害を受けたときその度合いと手当てがいち早く出来るように各国で行われていると言うのです。
髪型の歴史でござる。
武士は中世の日本の歴史の主役であります。その武士のことで私がどうしても気になるのが、あの変な髪型!いわゆる『ちょんまげ』ですね。
髪の毛を剃るという髪形は平安末期からあり、一般的な理由として貴族の冠や武士の兜などを被る際に頭部が蒸れるのを防ぐためと考えられていますが・・・
そして戦国時代に武士の間で大流行して江戸時代には武士の正式な髪型として定着しました。
きちんとした、殿様などは、若い武士が、変な髷をすることを嫌い、切腹させた例もあるということです。ちょんまげの種類は、3種どころではありません。
武士で、プライベートで、ふざけた髷をしていても、登城する時は、きちんとしていたはずです。
それでも、目はつけられますから、リスクは覚悟の上で。と、いうことです。
ちょっと笑える話!
明治四年(1871年)に、岩倉具視は、諸外国との不平等条約の改正と西洋の制度などを視察する目的の使節団の正使として、欧米各国を訪問した時のことです。
岩倉具視を除く他の4人は、断髪の洋装でしたが岩倉具視だけが、ちょんまげの和装でした。
この岩倉具視の姿には、アメリカから遅れてると言うことで笑われ者になり、それに怒ったか岩倉具視は・・・・
アメリカに上陸してすぐにサンフランシスコで撮影された写真では、まだ丁髷に羽織袴で靴をはいています。
それが、アメリカ大陸横断後ワシントン入りした後の写真では、丁髷はなく、断髪に洋装でした。
髷(まげ)には
髷(まげ)の種類を細かく分類すると60種類ぐらい有るそうです。
おまけ画像でマゲメンの面々です。